インドのみどころ

広大な敷地と巨大な人口を持つ大国・インド。歴史・文化・遺跡・食・・この旅の醍醐味がぎっしりつまった国の見所を紹介します。

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■北インド■
●デリー
インドの首都デリーは、中央アジアから南アジアに入る門にあたる場所のあり、古代からの外来の政権がここを都としました。デリーの語源は明らかではないが、「敷居」を意味するデヘリーとする説があります。
現在のオールドデリーとニューデリーに、古来多くの都がおかれたことから、「多重都市」ともいわれていて、権力者と時代を異にする都市が重層的につくられた歴史を表現しています。

【クトゥブ・ミナール】
ind_kutaminalトルコ系の宮廷奴隷クトゥブッディーン・アイバクが12世紀末に建てたクワットル・イスラーム・モスクのミナッレト。ニューデリーの南郊外15キロにあり、高さ72.5m、基壇の直径14.5m、5層のうち下3層は赤砂岩、その上は大理石と砂岩でつくられ、外壁にはコーランの文句を図案化した彫刻が刻まれています。ここにはまたチャンドラバルマン王の鉄柱が立っています。同王が4世紀につくった柱が後世にこの場所に運んでこられたといわれていますが、鉄の純度が極めて高いので、何百年も風雨にさらされていても錆がつきません。1993年に世界遺産に登録されました。

【フマユーン廟】
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ムガル帝国第2代皇帝のフマユーンの妃が1565年に建造しました。赤い砂岩と大理石が巧みに配合された建造物は、後のタージマハルのモデルになりました。1993年に世界遺産に登録されました。



【ラージ・ガート】
ヤムナー河沿いにあり、公園内の黒大理石の演壇がマハトマ・ガンジーが火葬された場所を示しています。

【インド門】
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首都の中心部に位置しており、第一次世界大戦で戦死したインドの兵士に捧げるためにイギリスによって1931年に建設されました。高さは42mもあります。





●アグラ
デリー南南東200キロに位置するアグラは、古代叙事詩「マハーバーラタ」にも「アグラバナ(楽園)」の名で言及されています。歴史上に登場するのはアフガン系のローディー朝第2代のシカンダル・ローディーが1501年に都を置いてからです。第3代治世下の1526年にバーブルとの戦争に敗れて、ローディー朝が滅び、ムガル朝が創設されました。アグラは1556年から1658年までの間、アクバル帝、ジャハンギール帝、シャー・ジャハーン帝と続くムガル皇帝の支配下で絶頂期を迎えました。現在のアグラにおいてもムガル時代の遺産が色濃く残されています。

【タージ・マハル】
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ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンの妃ムムターズ・マハルの白亜の霊廟。妃が亡くなったのは1631年で、帝国の財力を注ぎ込み、22年の歳月をかけて1653年に完成されました。基壇の大きさは95m四方、本体は57m四方、高さ67m、四隅の塔の高さは43mあります。1983年に世界遺産に登録されました。


【アグラ城】
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ムガル帝国第3代皇帝アクバル帝により1565年にアグラ城の建設が始められ、その後、歴代皇帝によって建設が続けられて18世紀初めに完成しました。城壁の全長は25km、高さ20mで、城内には宮殿、モスク、バザール、居住区などを備えた城塞です。息子に皇帝の座を追われて城内の塔に幽閉されたシャー・ジャハーンが7年間、最愛の妃の廟タージマハルを日夜眺めていました。1983年に世界遺産に登録されました。 

【ファテープルシクリ】
アグラ中心部より南西37kmにあるアクバル帝の都城。アクバル帝は1571年にアグラより遷都しました。長い間子供に恵まれなかったアクバル帝が聖者の予言通り男児が生まれたことに感謝して築いたといわれています。都城跡には、造幣局、国庫、謁見場、アクバル帝の玉座などがあります。アクバル帝はわずか14年で再び遷都をしましたので、廃都となり現在にいたります。

●ジャイプール
勝利の町ジャイプールはデリーの南西266kmに位置し、1727年に藩王ジャイ・シンにより以前の都アンベールから遷都されました。1863年、ビクトリア女王の夫アルベルト殿下を迎えるにあたり町はピンク色に塗られ、それ以降、ジャイプールはピンク・シティと呼ばれるようになりました。旧市街は7つの門をもつ城壁に囲まれています。

【風の宮殿(ハワ・マハル)】
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格子模様のバルコニーがある5階建ての建物で、暑い夏の間、涼しい風が入るようになっています。かつて王族の女性たちはこのバルコニーから町の様子を眺めていました。




【シティパレス】
ind_citypalace当時のマハラジャ、サワーイー・ジャイ・スィン2世により1726年に建てられました。現マハラジャの住居であり、一部が博物館になっています。王族の衣装、武器、宝石、馬車、王家の象かご等が展示されています。





●ジョードプル
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州都・ジャイプールに次ぐラジャスタン州第2の街。旧市街の家屋の壁が青く塗られている事から「ブルーシティ」として知られるこの街は、かつてのマールワール国の首都であり、その歴史はラージプートのラトール族が建国した13世紀まで遡ります。
現在の町はこの「ジョードプル」という街の名前の由来となったラーオ・ジョーダにより15世紀に造られた街。今もマハラジャが住むウマイド・バワン宮殿は最高級ホテルとしても利用されおり、街を見下ろす丘の上に建つメヘラーンガル砦がこの街のシンボルとなっています。

●ウダイプール
ラージプート族のウダイ・シング王が16世紀に建てた国の都。王はこの街にダムを建設し、ピチョーラ湖とファテーフ・サーガル湖という2つの大きな人造湖を造る事で街の防備を固めました。ピチョーラ湖中の王の離宮は改装され、有名な「レイクパレス・ホテル」となっており、多くの観光客の人気を集めています。

●ジャイサルメール
ラジャスタン州の西端、パキスタンとの国境までは50Kmほどの場所に位置するジャイサルメール。タール砂漠の真ん中に位置するこの街は、かつての西アジアへの通商路上の宿場と城塞の街です。街中にはハヴェーリーと呼ばれる、大臣や裕福なジャイナ教徒の商人たちが建てた4、5階建ての大邸宅が多く見られます。
城塞は周囲から76m盛り上がった三角形の台地上に造られており、町の建物の大半が黄色い砂岩で出来ているため、太陽の光にあたると街全体が金色に輝くことから「ゴールデン・シティ」と呼ばれています。

●ベナレス
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ヒンドゥー教徒の崇高な巡礼地として知られるベナレスは、何千人もの巡礼者がインド各地だけでなく世界中から集まります。ヒマラヤの水を集めたガンジス河が三日月形に曲がる場所に位置しているシヴァ神の聖地であります。夜明け前には、聖なるガンジス河に腰まで浸かった巡礼者たちが沐浴し、日の出に祈りを捧げています。


【サールナート】
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べナレスの北東9kmに位置するサールナートは仏陀が最初の説法(初転法輪)をした場所であり、八大仏跡の一つであります。6世紀に建てられたダメーク・ストゥーパには仏陀の遺骨が安置されています。また考古学博物館には、紀元前3世紀にアショカ王の法勅を刻した石柱の柱頭が展示されています。



●カジュラホ
マディヤ・プラデーシュ州のカジュラホは、10~13世紀に栄えたチャンデラ王朝の都が置かれた場所。ミトゥナ像を含む官能的なレリーフで飾られた寺院群で有名な街です。
この地にはかつて85もの寺院が建てられましたが、現在はそのうち25の寺院が残っています。カジュラホの寺院群はヒンドゥー教とジャイナ教の寺院で3つのグループに分けられていますが、なかでも有名なのは規模が最大の西群寺院群。このヒンドゥー教寺院群の特徴は建造物に所狭しと彫られた男女一対のミトゥナとよばれる男女交合像の彫刻。インドの聖典「カーマスートラ」の世界を描いたようなその彫刻には豊穣の祈願が込められていると考えられています。

●ボパール
【サンチー仏塔】
マディヤ・プラデーシュ州の州都ボパールの北東45Kmに位置するサンチーの丘には有名な三つのストゥーパ(仏塔)が立っています。
アショカ王により創建された大塔(第1ストゥーパ)は、紀元前2世紀に改築されて現在の姿になりました。大塔周囲の欄楯に彫刻は施されていませんが、前1世紀に建てられた四方の塔門(トラーナ)は、全面が精緻な彫刻で飾られています。彫刻の主題は仏伝やジャータカ(本生譚)の場面、動植物や花の文様となっています。
往時はストゥーパの他にも多くの寺院や僧院が建ち並ぶ一大仏教センターを形成していました。

【ビムベトカ岩窟群】
マディヤ・プラデーシュ州にある古代から中世まで遡る岩窟住居跡。最古の物でおよそ1万2000年前の後期旧石器時代の壁画が残されています。壁画は赤と白の天然の塗料によって描かれており、その色彩は時を経てなおきれいに保たれています。
一つの壁画に複数の時代の絵が描かれているのは明らかで、野牛やサイ、クマ、トラ等の動物から狩猟や成人の儀式、子供の誕生、宗教的な儀式等と様々な題材、場面が描かれています。

●ダラムサラ
ヒマーチャル・プラデーシュ州のダラムサラは英領時代にはイギリス人の避暑地として栄えました。
現在は1959年にチベットから亡命してきたダライラマ14世率いるチベット亡命政府の本拠地として世界的に知られており、今も多くのチベットからの亡命者が険しいヒマラヤ山脈を越えてこの地を目指しています。
今では6000人以上の亡命チベット人がこの街に住んでおり、その多くはアッパー・ダラムサラと呼ばれる地域に居住しています。

●ハリドワール
「神への入り口」という意味を持つヒンドゥー教の聖地の一つとして有名なハリドワール。ヒマラヤに端を発するガンジス川が平野部に流れ込む場所に位置しています。
玄奘三蔵の「大唐西域記」にも記述が見られるこの街では、毎日夕方になるとガンジス川のガートでプージャ(法要)が行われており、燈明を捧げる風景を見ることが出来ます。

●リシケシ
ハリドワールから北へ約20キロの場所に位置するリシケシは三方を丘に囲まれた静かな巡礼地。ヨガを始め、瞑想やインドの伝統医学アーユルヴェーダの研究が盛んな場所としても知られています。この街では多くのサドゥー(ヒンドゥーの修行者)の姿を目にする事が出来ます。

●コナーラク
【太陽神殿】
オリッサ州の州都・ブバネーシュワルから南東約70Kmに位置するコナーラクの太陽神殿は13世紀の後期東ガンガ王朝のナラシンハデーヴァ王によって建てられました。
神殿基壇の両側面には12個ずつの車輪がついていて、馬に曳かれて天駆ける車を模した太陽神の館であることを表しています。また、車輪や基壇の側面には男女神像や様々な男女交合像、騎馬像、装飾彫刻等が細かく施されています。

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■西インド■
●ムンバイ
アラビア海に突き出した半島に位置するムンバイはインド最大の国際商業都市です。半島はもともと7つの島からなり、コーリーと呼ばれる漁民が住んでいました。彼らの守護女神ムンバデビが地名の語源です。古くからヨーロッパとの交流が深く、18世紀頃からムンバイと呼ばれるようになりました。

【エレファンタ島】
インド門から船で約1時間あまり、港から9キロのところにある島。16世紀にポルトガル人が上陸し、巨大な石彫りの象を発見したためエレファンタ島と呼ばれています。島には7つのヒンドゥー教の石窟寺院があり、最大の見どころは7世紀に造られたシヴァ寺院です。

●アウランガバード
ムンバイの東約350kmのデカン高原にある古い市場町。町はムガル帝国6代皇帝アウラングゼーブ帝との関係が深く、皇帝の名にちなんで皇帝自身が命名しました。

【エローラ石窟】
エローラ石窟は数あるインドの石窟群でも、仏教・ヒンドゥー教・ジャイナ教といった インドで成立した主要宗教の石窟がそろっているのはここだけです。南北に連なる断崖に、30余りの石窟と自然岩から掘り出した2つの寺院が6世紀後半から10世紀頃にかけて開鑿されました。最大の見どころは第16窟のカイラーサナータ寺院で、756年に開削が始められ完成までに1世紀以上を費やされました。1983年に世界遺産に登録されました。

【アジャンタ石窟】
アジャンタ石窟寺院は紀元前1世紀頃の前期窟(上座部仏教期)と紀元5世紀の後期窟(大乗仏教期)のふたつの時代に渡り開鑿されました。最大の見どころは宮殿のような豪華な造りの第1窟です。この窟の壁画の蓮華手菩薩と金剛手菩薩は、日本の法隆寺金堂壁画の菩薩像のオリジナルとして知られています。1983年に世界遺産に登録されました。

【ビービー・カ・マクバラー】
1678年にアウラングゼーブ帝の息子のアザム・シャーが母親のために建てた霊廟です。タージマハルをモデルとして設計されました。
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■南インド■
●チェンナイ
チェンナイはベンガル湾に面した南インド最大の都市で、タミルナードゥ州の州都です。1639年にイギリスの東インド会社がここにおかれ、一大世界交易の場として発展しました。古い大聖堂やインド・サラセン様式の建物などかつての統治国イギリスの影響が色濃く残っています。

【マハーバリプラム】
チェンナイの南約60kmの海辺にある遺跡。遺跡は長さ800m、幅400mの区域内に点在しています。代表的な遺跡は8世紀前半に造営された海岸寺院で、ふたつのピラミッド形のヒンドゥー教の寺院です。また幅29m、高さ13mの岩に彫られた巨大なレリーフ・アルジュナの苦行やパンチャ・ラタ(五つの山車)と呼ばれる岩石寺院は巨大な花崗岩から掘り出された建造物です。クリシュナのバターボールと呼ばれる巨大な岩もこの遺跡の見どころの一つです。1984年に世界遺産に登録されました。

【カンチープラム】
チェンナイの南西77kmにあるヒンドゥー教の聖地で、7~8世紀にかけて栄えたパッラヴァ朝の古都です。南インドのヒンドゥー教寺院の特徴は、塔門(ゴープラム)の存在です。彩色されたヒンドゥーの神々のレリーフが塔門の隅々まで描かれています。本堂にシヴァ神が祀られているカイラーサナータ寺院、カンチープラム最大の寺院エーカンバラナータル寺院等見どころが多くあります。 

●タンジャーブール
9世紀から13世紀にかけて栄えたチョーラ朝の古都で、数多くの見所が残っています。

【ブリハディーシュワラ寺院】
1010年チョーラ朝最盛期のラージャラージャ1世により建てられました。2重の城壁で囲まれた塔門をくぐると正面にシヴァリンガを祀った本殿(ヴィマーナ)があります。本殿の塔の高さは60mもありシヴァ神の住処であるカイラス山を表しています。頭頂部には重さ81トンの花崗岩の冠石(シカラ)が置かれています。1987年に世界遺産に登録されました。

●マドゥライ
タミルナードゥ州第2の都市であるマドゥライは、古代パーンディヤ王朝の都として栄えました。この町のシンボルともなっているミナクシ寺院はあまりにも有名です。

【ミナクシ寺院】
この寺院の名前はシヴァ神の妃パールヴァティーの別名から付けられました。東西南北にある4つの塔門は市内のどこからもでも見ることが出来ます。東門が正門になっていて、本殿であるスンダレーシュワラ神殿内に入れるのはヒンドゥー教徒の人たちのみです。

【ティルマライナーヤカ宮殿】
17世紀にティルマライナーヤカ王により建てられました。建築様式はインド・サラセン様式で、宮殿内の王冠の間や謁見の間などを見学できます。

●コチン
インド有数の貿易港のコチンは4つの地区から成り立っています。エルナクラム地区と いわれるコチンの玄関口、人口の島ウィリンドン島、ユダヤ教徒のシナゴーグが残るマッタンチェリー地区と歴史的な建造物が多いフォートコーチン地区となっています。

【ダッチパレス】
ポルトガル統治時代の1555年にコーチン藩王のために建てられましたが、1663年のオランダ統治時代に総督領になり、それ以降ダッチパレスといわれるようになりました。館内には当時の家具やヒンドゥーの神話の壁画が描かれています。

【聖フランシスコ教会】
1524年にコチンで亡くなったヴァスコ・ダ・ガマの墓石が床に埋め込まれています。

【カタカリダンス】
ケララ州の伝統的な宗教舞踏であり、コチンがその本場です。顔の動きや指先の演技で感情を表現しようとする踊りです。市内の数か所で毎日上演されています。

【カンニャークマリ(コモリン岬)】
インド最南端の地であり、この岬でベンガル湾、インド洋、アラビア海の三つが出会います。岬にはクマリ女神を祀るヒンドゥー寺院クマリ・アンマン寺院があります。寺院の内陣は18世紀につくられましたが、寺院そのものの歴史ははるかに古く、男性のみ上半身裸になれば内陣に参拝することが出来ます。
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■仏跡参拝■
●ブッダガヤ
釈尊が菩提樹下で悟り(ボーディ)を得たので、この地はボードガヤ(ブッダガヤ)といわれるようになりました。仏教徒にとって最も重要な聖地であり、多くの寺院が建てられている大巡礼地です。ブッダガヤを代表するマハーボディ寺院には高さ52mもの塔が建っています。元々は紀元前3世紀にアショーカ王が建造しましたが、改修を繰り返して現在の形になりました。寺院の裏手には仏陀が坐した台、金剛座と菩提樹が残っています。

●ラジギール
5つの山に囲まれた盆地が釈尊在世当時のマガダ国の首都、ラージャグリハ(王舎城)の旧都です。盆地の東側斜面には霊鷲山があり、頂上には釈尊が起居されたという岩窟や説法されたという場所があります。また旧都の北門付近には竹林精舎跡なども残っています。

●クシナガル
釈尊が侍者アーナンダに看取られて、沙羅双樹の間に横たわり入滅されたのがこの地です。ミャンマーの仏教徒が建てた涅槃堂の前には2本の沙羅の若木が植えられていて、周囲には涅槃塔、僧院址などの遺跡があります。また約1km東にあるラーマバルストゥーパは釈尊が荼毘に付された跡といわれています。

●祇園精舎(サヘート・マヘート)
コーサラ国のスダッタ長者が祇多太子の園林を買い、釈尊に寄進した精舎です。ここで釈尊は24回の雨安吾を過ごされて、多くの経を説かれました。サヘートがその祇園精舎址で、釈尊が説教されたと伝えられる台座や後代の僧院址が残っています。その北東500mにあるのがマヘートとよばれる舎衛城址です。
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■シッキム・東北地方■
●ガントク
標高1547mのシッキム州の州都です。もとは17世紀からのシッキム王国の都でしたが1975年にインドの22番目の州となりました。

【ルムテク・ゴンパ】
シッキム最大のゴンパでカルマ・カギュ派のカルマパ法王の本山です。1740年に建てられましたが地震で壊れ、後に再建されました。

●ペリン
標高2083mの西シッキムの中心地で、カンチェンジュンガが展望できるロケーションです。ここには1705年に法王ラツン・チェンポにより建てられたペマヤンツェ・ゴンパがあります。

●ダージリン
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コルカタから北へ約500kmのヒマラヤに連なる尾根上、標高2134mに位置します。この町はイギリス人が避暑地として開発した町で、植民地時代の洋館や教会が今も残り、傾斜地に広がる大規模な紅茶園もダージリンらしい風景です。




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