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ジュレ―!!GNHスタッフのキトトです。
という事でお待たせしました。ハンレへのツアーレポート。第3回目の今回はついにハンレに到着でございます!
それではツアー2日目。いざハンレへ!!

2日目: 2019年5月8日(水) 天気:快晴
この日はニョマをベースにし、4月から新たに開かれたハンレへ日帰りで訪れます。
ニョマからロマのチェックポストまでは22kmの距離。この間は広大な平地と砂漠が広がっています。ちなみにこの平地を利用して軍事用滑走路にすることもあるようですが残念ながらこの区間は撮影禁止。ロマのチェックポストを通過するとこれより先が解放されてすぐの土地になります。
(チェックポストを過ぎた直後の風景。山肌の砂紋をラダックでこんなに見たのは初めて)

(チェックポストを過ぎた後にある道路標識)

道路標示にはハンレ(HANLE)まで50km、左に曲がるとダムチョック(DEMCHUK)まで83kmとの表記。インダス川上流はダムチョック方面となり、昨日からずっと見てきたインダス川とはここでいったんお別れです。
ここから先、ハンレまでは今まで何度も見てきたラダックとは全く異なる景色が広がっていました。砂山、岩山、雪を頂いた山に穏やかに流れて行くハンレ川。砂漠のような景色はラダック北部のヌブラ渓谷にもあるけれど、砂の色も違うし、渓谷とは異なり、なんというか大地に広がりがあるのです。
(道は完全舗装されているが高度差があり、動物もいるのでスピードには注意)

ハンレへと向かう道中の最初にRONGO村の集落があり、その先には遊牧民たちのテントが10数個建てられていました。
このドライブ中にも野生動物が次々と姿を見せてくれました。
(ラダック野生ロバ・キャンは今日もたくさんいました)

(キツネもこちらの様子をうかがう?)

(オグロヅル!5~9月に飛来するそうです)

撮影ができたキャン、キツネ、オグロヅルだけではなく、黄金色のカモや野ウサギも見る事が出来ました。ハンレ周辺だけで観察できる野生動物は、現地でダクシャムと呼ばれるマングースに似ている動物や、野生の猫など。
それにしても、ガイドもドライバーさんもよくそんなに簡単に肉眼で野生動物を探せるなぁ。。。と。
車窓から自然観察を満喫しているうちにハンレ・ゴンパの姿が見えてきました。ハンレに入り最初に現れる町のシンボルです。
(ハンレ・ゴンパの後ろ姿)

(三叉路。右側に上る道は中国との国境付近PHOTILEまで55km。外国人は訪問不可)

早速、憧れ続けたハンレ・ゴンパへ向かいます。50人ほどの僧侶がいてお供え物である”ツォ”を作っていました。厳冬の時期もみなここで暮らしているそうです。ハンレまではあまり高い峠がないため、冬は気温が下がるのですが、それでも道路がクローズすることはないそうです。

上のお堂までは車で上がることもできますが、せっかくなので歩いていきました。標高は4000mを超えるためゆっくりゆっくり歩きます。途中、この土地で亡くなったといわれるセンゲ・ナムギャル王のための仏塔(ストゥーパ)にもお参りをしました。
(お堂までもう少し。歩きながらハンレの町を望む)

(親切にしてくれたカギュ派のお坊さんたち)

上のお寺に到着し2つのお堂を訪問。お茶もごちそうになりました。
(ターバンをかぶり当時アフガニスタンにも行ったタクツァン・レーパ)

17世紀にラダック王国の最盛期の王となったセンゲ・ナムギャルは1630年に西チベット・グゲ王国を倒しました。その導師タクツァン・レーパ(レスパ)、11世紀に西チベットを中心に活躍した大翻訳官リンチェンザンポ、ナーランダ僧院から招かれたアティーシャたちはハンレとも関係が深かったことがわかりました。現在は国境で隔てられていますが、チベット本土にあるグゲやプラン、ヒマーチャル・プラデーシュ州のスピティも、かつては一つの国であり同時代に文化を築いていたことを再認識しました。
ハンレ・ゴンパは見通しの良い丘の上に建てられ、ここが僧院になる前は城として使われていたのも納得の立地です。周囲の山の頂上や中腹には現在でも使用している堡塁があります。今も昔も変わらずここは重要な拠点なのでしょう。

ハンレには集落がいくつかあり、全体の世帯数は300を超えます。まずは2001年に設置されたインド国立天文台の観測所へ。スタッフの方が説明をしてくれました。
(大きいドームを擁した観測所の建物)

ここはハンレの中でも更に丘の上、標高は約4500mで周囲には高地砂漠が広がっています。大気量が少なく、天体からの光が大気によって吸収・散乱、放射による感度が低下しにくいため天体観測に好条件を備えています。ここで観測をし得たデータは南インドのベンガルールへ通信するそうです。また高性能な望遠鏡の一つ、ヒマラヤ・チャンドラ望遠鏡(Himalayan Chandra Telescope)も設置されていました。
ハンレではどの家でもカーテンを二重にしています。村にある街灯の向きも調節し観測の妨げになる生活の灯りが漏れないよう村人がみんな協力をしているそうです。夜は23時を過ぎると電灯はつきません。面倒ではない?とハンレの人に聞いてみると、「全然問題ないよ。もう寝ているし、第一、静かで落ち着くしね」と言っていました。
お寺や街道沿いで見たような昔ながらのスローライフな暮らしを残しながらも、現代の科学技術の象徴のような天文台やテレスコープを擁するハンレの町。相反するような要素でも、昔からの人々のコミュニティが今も機能して続いているからこそ、最新鋭のテクノロジーにも貢献出来ているなんて、目から鱗です。
(ハンレで出会った親子)

その後も湿地帯でオグロヅルの観察をしたり、村の散歩やドライブ、民家でお食事を御馳走になったりしながらハンレの滞在を楽しみました。夕方前、再度チェックポストまで同じ道を戻ります。道中、遊牧民のテントを発見。山麓に山羊や羊の姿を見つけ立ち寄ってもらうことに。
(遊牧民のテント)

大人の山羊は山麓にて食事中らしくテントに戻ってきていませんでした。あぁ、動物たちはいないのか、そりゃそうかと改めて思っていたら、、
(子ヤギちゃんたち!)

立ち寄った先にいたのはBaby山羊さんたち!たっくさんいました!!
まだ早春で草も生えてきたところで、母山羊のお乳では十分ではないので飼い主の手で補足の餌をあげているところでした。
(おいしそうにミルクを飲んでいました。おじさんの帽子が素敵!)

子ヤギちゃんに癒された後はチェックポストに戻ります。この日はニョマではなくツァガ方面に向かいホームステイです。
(なんとなくスピティ谷を思い出されたツァガの集落)

ツァガ近郊の標高は約4000m。盆地の用な地形のため、ニョマよりも底冷えします。ホームステイ先では毛布も用意してくれましたが、暖かい寝袋とインナーだけで快眠できました。服装は昨日と同様、車内では長袖シャツ+セーター、車外に出るときは更にウィンドブレーカー、夕方以降はこれらに上下一枚ずつ防寒対策をしました。
この日走行をしたハンレまでの道は、チェックポストからは完全舗装、チェックポストからツァガ近郊までは未舗装でしたが短距離ですしあまり気になりませんでした。そして何よりここも外国人に開放されたのが4月からなので、より秘境感を感じる事ができました。

と言うことでハンレのレポート。今日はここまでにしておきますね。
次回はいよいよ最終回(の予定)。パンゴン・ツォを経由してレーに戻ります―。

キトト

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【ラダック最後の秘境 ハンレへの旅】
【第7回 写真家・関健作と行くブータンの旅】
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